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イチローを中日から奪ったスカウトマンの自殺 [タイムマシン]

イチロー選手が熱烈な中日ファンで
ドラフトでも中日から指名されることを
心待ちにしていたことは有名な話です。


でも、その期待を裏切って1992年のドラフトでは
4位指名でオリックス・ブルーウェーブに指名されます。


中日から指名されず落ち込んだイチロー(当時は鈴木一朗)は
中日以外の指名なので「大学に進学する」と発言し、
愛工大名電の野球部監督・中村豪を困らせたこともあったようです。


イチロー選手が超一流のメジャーリーガーとなった今となっては
当時のドラフトをどう語っても結果論の「たら、れば」ですが


あの時、イチローが中日スカウトに全うに評価されて
ドラフトで入団していたらば、そう考えるファンはまだまだいるようですね。


一方、イチロー選手をドラフト指名することに尽力した
オリックスのスカウト・三輪田勝利さんとイチローの深い関係も
またこの年のドラフトがきっかけで生まれたのです。



003.jpg





イチローのドラフトの裏側








イチロー選手はいわずとしれた
愛知の名門・愛工大名電野球部出身。


父と二人三脚で野球人生を歩んできたイチロー選手は
愛工大名電への進学動機が「プロ野球選手になるため」だったそう。


大方の高校生が考える「甲子園」という目標は
本当に通過点でしかないと考えていたようです。


なので、高校を卒業したらドラフト会議で指名される。
順位は何位でもいいから、とにかくドラゴンズに入る。
それこそがイチロー選手の望みだったとか。


その気持ちは世間から凄いと注目される
小学6年生の時の作文にも書いてありますし、
地元愛、ドラゴンズ愛は相当強かったようです。



イチロー 子供の頃の作文が圧巻の凄さ



でも、人生はいつも思った方向には進まない。



だからこそ、そこに葛藤やドラマが生まれるわけです。


イチロー選手も、このドラフト劇がなければ
これほどまでの選手になったかどうか・・・
それが、人生の面白さでもある。そう思いますね。


003.jpg


オリックスとの出会い










当時、中日のスカウトはイチロー選手の実力を
そんなにも大きく評価してなかったようです。


というか、当時のチーム事情では「内野手」を探していたというのもあるし
監督の星野仙一や高木守道がイチロー獲得に積極的ではなかった
そんな話もありますね。


でも、結局は当事者しか知りえない事情ですし
即戦力を求めていたチーム事情で
中日は指名「できなかった」というが正しいような気がします。



でも、スカウトの中には、きちんとイチロー選手
鈴木一朗の実力を見抜く人もいたのです。



それが、オリックスのスカウト・三輪田勝利さんでした。



先ほどもお伝えしたように、
オリックスから指名された高校生の鈴木一朗は落胆しました。


中日から指名されず落ち込んだ一朗は
中日以外の指名なので「大学に進学する」と発言し、
愛工大名電の野球部監督・中村豪を困らせたようです。


でも、監督とスカウト・三輪田さんの説得に考えを改め
オリックスに入団を決めプロ野球の世界に足を進めます。



そして、オリックスで仰木さんという名監督と出会い、
鈴木一朗から「イチロー」に改名。
その後の活躍は皆さんの知るところです。



人生なにが禍となり福となるのかわからない。



それを象徴している出来事ではないでしょうか?


スカウト・三輪田勝利さん


今現在のスーパースター・イチロー選手を作ったのは
まさに「望まないドラフトの不運な結果」から始まりました。


スカウト・三輪田勝利さんとの出会いが全てだった。
そう言っても言いすぎではないような気もします。


ただ、その後、三輪田さんはドラフト会議において、
新垣渚(沖縄水産高校)を1位指名に関与し
自らの命を断つということになってしまいます。


1998年、オリックスは新垣を指名。
福岡ダイエーホークスとが重複しますが、
抽選ではオリックスが交渉権を獲得しました。

ところが、新垣は「ダイエー以外なら進学する」と発言し、
オリックスへの入団拒否を表明します。


このあたりは、イチロー選手のドラフトの状況と
まるで薄紙をなぞったように同じような状況でした。


ただ今回はイチロー選手のように柔軟な対応で入団とはならず、
三輪田氏は懸命に新垣を説得しましたが意見は平行線のまま。


結果、そのことを球団上層部に咎められて心身ともに追い込まれ、
1998年11月27日那覇市内で投身自殺という不幸な結果になった。

享年53歳。才能あるスカウトの、あまりに早すぎる死でした。



イチロー選手は毎年、
決して三輪田家の墓参りを欠かさないそうです。


プライベートでも家族を交えた交流があり
プロへの足がかりを作ってくれたスカウトマンとの繋がりが
いまのスーパースター・イチローの野球人生に大きな根を張っている。



三輪田氏の告別式では棺に
自身愛用のバットを納めたそうですし

そこには選手とスカウトマンの
言葉では表現できない「信頼関係」が見えるように思います。


スカウトは、ただの始まりに過ぎない。
でも、そこには、指名に至るまでの長い歴史がある。
そんなことをこの物語から感じます。


中日に入っていたら・・・そう想像するのは面白い。
でも現実は、もっと、もっと深くて興味深いと思います。


イチローというスーパースターは
スカウト・三輪田勝利という存在なしには誕生しなかった。
そんな物語があったのです。


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